2011年09月30日

貧しきは羞ずるに足らず


家の書類を整理していたら、

だいぶ前のこんなメモが出てきました。



私、こんな言葉をメモしていたんですねぇ。

書いたことすら忘れてました。



でも良い言の葉で

そのまま捨ててしまうのももったいなかったので、

ブログに掲載しておこうと思いました。



呂新吾の「呻吟語」の中の一節です。



貧しきは羞(は)ずるに足らず

羞ずべきはこれ貧しくして志なきなり

賎(いや)しきは悪(にく)むに足らず

悪むべきはこれ賎しくして能なきなり

老ゆるは嘆くに足らず

嘆くべきはこれ老いて虚しく生きるなり

死するは悲しむに足らず

悲しむべきはこれ死して聞こゆるなきなり




意味は・・・



貧しいからといって羞じる必要はない。

恥ずべきは、貧しくして志のないことである。

身分が低いからといって自分を卑下する必要はない。

卑下すべきは、身分が低くて能力のないことである。

年老いたからといって嘆く必要はない。

嘆くべきは、年老いて目的もなく生きていることである。

死を迎えるからといって悲しむ必要はない。

悲しむべきは、死んでのちに名前まで忘れられてしまうことである。


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2011年08月03日

祈ること

祈り(いのり)・・・

あらためて「祈り」という言葉を出すと、

なにか宗教的なものを感じてしまうという方も多いと思います。



しかし、それは見当違いというものです。

別に宗教的でも何でもありませんよ。



あなたのご無事を祈ります

みなさまのお幸せをお祈りいたします

被災地の復興を祈ります

新郎新婦の末永いお幸せを祈ります

世界の平和を祈念いたします



などなど・・・みなさんもよく使いませんか?



私たちは日常茶飯事的に「祈り」という言葉を使います。

私たちと「祈り」とは切っても切れない関係なんです。



でもその肝心の「祈り」がよく分かっていなかったりします。

「祈り」とは私たちの心の叫びのことです。



祈る対象は神様でも自分の本心でも、

仏様でも、守護霊様でも、守護神様でも、宇宙でも何でもいいです。

ご自分の納得する対象を選んでください。



鰯(いわし)の頭も信心から・・・

とまでは言いませんが(笑)、

心からの祈りは必ず聞き届けられます。



一人眠りに入るとき、

祈りの言葉を口に出しましょう、

そして静かに瞑想します。



心を静め、

今日一日の出来事を思い返します。

そして今日起こった良いことも、

また悪いことも、

すべてが好転してゆくことをイメージします。

イメージできないときは

自分が決めた祈りの対象に

「よろしくおねがいします!」・・・って丸投げしちゃいます。(笑)



いいんですよぉ〜、丸投げで。(笑)

どうせ頭で考えたって、いい解決策がなかったりするんですから。(笑)

そして寝てしまう!

それが一番!(笑)

そうして丸投げすれば、

潜在意識の方で知らないうちに解決してくれます。

時にインスピレーション(直感)が働いて最善の解決策を教えてくれたりします。



すべてが大丈夫、

すべてがうまく行く。

ありがとう。

今日出会ったすべての人が幸せでありますように。

日本が平和でありますように。

世界が平和でありますように。

世界のすべての人が幸せでありますように。



祈りの言葉は自由ですが、

コツは感謝の言葉をいれることです。

どこかの祈りを真似しても構いません。

真似だけならタダですからね。(*^^)v

自分とみんなの両方のために祈ることです。



自分のため・・・と書きましたが、

自分を愛せない人に他人を愛することはできません。

なぜなら

愛し方を知らないからです。

自分を愛するというのは

「自己愛」とは違いますよ。

自分を愛するというのは

自分の自我(エゴ)を愛するのではなくて、

全体の中の一人である、

みんなとひとつのものである自分を愛すると言うことです。



どうか

自分を愛してください。

自分を心の中で抱きしめてください。

そして自分と同じように他のみんなも愛してください。



祈りを口に出すときは一音一音に集中します。

しかし、気張ることはありません。

心穏やかに、

ハミングするような気持ちでやりましょう。(‐^▽^‐)



時に、

祈りの言葉に気持ちがついて行かないときがあります。

でも心配いりません。

そんなときは祈りの言葉に集中することです。



意外に思うかもしれませんが、

祈りにも訓練が必要です。

常に

歩いているときも

座っているときも

寝ているときも

何をしているときも

常につねに心の中に祈りの言葉を響かせている・・・

心の中で祈ります。

声に出す必要はありません。

それが祈りの訓練となります。



座って祈るだけが祈りではないんです。



それから

無いとは思いますが、

「祈り」と「呪い(のろい)」を間違えてもいけません。

人をおとしめようと思う心は、

やがてその人自身もおとしめることになります。

いかなる理由があろうとも・・・です。



「人を呪わば穴ふたつ」

ということわざの意味分かります?

人をおとしめようと呪ったあとには、

その呪った相手だけではなく自分自身の「穴=墓穴(はかあな)」を掘ることになるんだよ。

という意味ですよ。



気をつけましょうね。


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2011年07月28日

言霊(ことだま)

私が以前書いた記事です。


『言霊(ことだま)』


良い響きの言葉を発することは大切です。

良い言葉を発しましょう。

それがあなた自身のため

そしてみんなのためになります。




言霊(ことだま)

2010年01月25日(月) 09時05分58秒



音叉(おんさ)ってありますよね。

ピアノの調律なんかに使うやつです。


おもしろいですよね。

ひとつの音叉を「キーン」とならして、

もう一つの音の鳴ってない音叉に近づけると、

それも一緒に「キーン」となり始めます。

共振というやつですね。



私たちの話す言葉も振動によって相手に伝わります。

たとえば日本語なら話す言葉の「あ」のひびき、

「い」のひびき、

「う」のひびき、

「え」・・・「わ」「を」「ん」とかいった50音のひびき、

それプラス『濁音(だくおん)・・・「が」「ぎ」「ぐ」など』や、

『半濁音・・・「ぱ」「ぴ」「ぷ」など』があります。

これらのひびきが組み合ってさまざまな言葉という和音や不協和音が構成されるわけです。



これらの和音、不協和音が鼓膜の振動を通して、

美しい言葉、醜い言葉と言うように私たちに認識され、

心の中に共振(=共感)をおこすわけなんです。



美しい言葉、よい言葉なら他の人の心のよい部分に共振を呼び起こし、

醜い言葉は他の人の心の醜い部分に共振を呼び起こします。



普段私たちは言葉を、

自分の思いや意志を相手に伝える道具として使っているわけですが、

同時に私たちは音楽で楽器をならすのと同じように、

言葉という音楽を奏でているわけです。



日本には古来から「言霊(ことだま)」という考えがありました。

「言葉」には「神」が宿るという考えです。

私たちが発した言葉から言霊が生まれる。

言霊は人を生かしもするし、殺しもする。



それは、言葉が人の心のどの部分に共振を呼び起こすかということなんですね・・・。



私たちの発した言葉は姿はありませんし、形もありません。

目には見えないけれども、

言霊は目の前に存在するわけです。

これらの言葉は一度発せられたら、

消えることはありません。



消えないでどこへ行ってしまうのかというと、

同じような波動を発するもののところへ行きます。

よい言霊は高い波動のところへ、

悪い言霊は低い波動のところへと引き寄せられるように行きます。

そしてそれらは世界中を駆けめぐって同じような波動を引き連れて(増幅されて)

自分の元へ津波のようになって戻ってきます。



うれしいようでうれしくないような・・・。


普段私たちが何気なく使っている、

「ばかやろう」とか
「むかつく」とか
「にくたらしい」などといった醜い言霊は、
不協和音となって、
たとへば、イランとかアフガニスタンとかいった戦火の絶えないところへ、
引き寄せられるように伝わっていくのだそうです。


(だから、醜い言葉を発しないようにするだけでも、
私たちは世の中の役に立つんですね・・・)


他国の戦争は対岸の火事のように思っていても、
実は私たち自身の責任でもあるんです。

そしてそれらはやがては私たちに戻ってくるんですからね。


よい言霊を発しましょう。

ありがとう。

しあわせ。

あいしてます。


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