2010年02月17日

宇宙空間

『ラムサー真・聖なる預言』(ラムサ著 川瀬勝訳 角川春樹事務所刊)より



ここにはほんの小さな銀河があるにすぎない。

そしてもし皆が、

自分たちがそこに存在するただひとつの生命であると考えているなら、

それは傲慢であると言わざるを得ない。

皆の住む銀河だけでも百億個の太陽があり、

それぞれの太陽には生命を維持している惑星があるのだ。


いったいどのくらいの数の太陽系が存在しているかを伝えられる数の単位は存在しない。

大小あらゆる惑星、

そこに生息する生命を全て数え上げられる数字も存在しない。

数はないのである。

もし無限というものを理解したいと願うなら、

時間や距離や単位を超えて考えられるように、

頭の中をプログラムし直す必要がある。

さらに大きな現実では、

そういうものは存在しないからだ。


神はただ「在る」。

始まりとはいつのことだったのか?

そんなものはなかったのだ。

神は「つねに」在ったのだ。

思考、宇宙、空(くう)、テルスター(telstar)を維持し、

それに生命を与える。

テルスターが何か知っているだろうか。

光を物質に変容させ、

それを宇宙に吹き出して星団をつくるものだ。

ではテルスターはどこから来たのだろうか。

思考、空、宇宙空間、

見わたせば星と永遠が見える偉大な空(くう)からだ。

神の最も完璧で限りない存在としての姿を思い描きたければ、

宇宙空間という終わりなき永遠を思い描くとよい。

宇宙空間こそが、

あなたの目にするものすべてを取り囲み、

在るものすべてを維持し、

その存在を確立してくれるものだからだ。


皆、宇宙空間のことを、

まるで何もない場所であるかのように語る。

しかし、

すべてのものをしっかりとその公転軌道に固定しているのは何なのだろうか。

虚無空間に皆の惑星である地球を浮かばせているのは何か?

百億個の太陽を有する皆の銀河を支えているのは何か?

何がすべての物質の通過を可能にしているのか?

よく考えてみれば、

光が移動するときはいったい何の上を通っていくのか?

これがすべて、

あなたが「何もない」という場所で起きているというのだろうか。

百億個もの星とその太陽系を維持できる、その「何もないもの」をぜひ見せてほしい。
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2010年02月08日

ハルマゲドンとは終末を意味するものではない

『ラムサー真・聖なる預言』(ラムサ著 川瀬勝訳 角川春樹事務所刊)より



反キリストとは、

変性自我のことであり、

その王国は社会意識だ。

それは限りなき思考を許さないものであり、

その教義は恐怖であり、

審判であり、

生存なのである。



キリストとは、

自分のうちにある父なる存在の力、

美、

愛、

そして限りなき生をすべて表現している人間のことだ。

自分は神なる存在であることを悟り、

教義や預言や恐れを超越して、

その悟りをそのまま体現して生きる人間のことなのだ。

そういう人間は、

社会意識を超えたところに、

神という無限の活力があることを知っているからである。



反キリストとキリストは同じ寺院を分かち合っている。

その寺院とは、

あなたのことだ。

すべてはあなたの内面にある。

あなた自身である神が、

キリストと反キリストのどちらの存在も許すからだ。

無限と限界の両方の存在を許すのである。



「ハルマゲドン」という預言のことを耳にしたことがあるだろうか。

何のことはない、

あなたは自分の人生でそれをずっと生きてきているのだ。

ハルマゲドンとは、

神の実現と、

反キリストの容認との間の戦いのことであり、

限りない「知っている状態」と社会意識との間の戦争なのである。

それがハルマゲドンだ。

自分の外で起きる戦闘ではなく、

内面のものなのだ。



自分のうちにわき上がるキリストと、

支配を続ける変性自我との対立なのである。

したがってこの預言は確かにこの時代に実現していることになる。
posted by JEGO at 00:44| Comment(0) | ラムサー真・聖なる預言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月15日

よろこびあふれる存在になる

『ラムサー真・聖なる預言』(ラムサ著 川瀬勝訳 角川春樹事務所刊)より


この地上界での生において、
あなたがここにいる目的とは何だろうか。
多くの人々は、
あるタイプの人間になる、
あるいは特定の職業に就くことが絶対であると教えられ、
必ずそうなるよう家族や社会からきちんと見守られて育つ。
なんとひどいことだろう。
あるいは人類にとって自分が偉大なる師、
救世主、
あるいは治癒者としてここに送られたと想像する人たちがいる。
まあなんと高貴なことよ。
さらに、神に近づくという、
詳細まで決まっている聖なる道、
狭き道を一歩ずつ進むためにここにいると感じている人たちがいる。
なんと退屈な。

この地上界にやってくるときには、
まだ誰も目的は持っていない。
父なるものは、
あなたにも他の誰にも、
人生はこうなるべきだという指示を与えてはいないのだ。
ただし、それにはひとつ例外がある。
それは父からあなたへのただひとつの望みであり、
存在のあるべき姿の究極を教えている。
それは、よろこびあふれる存在になるということだ。
よろこびが、あなたにとって何を意味しようとも、である。
大切な神なる存在の内面にいるあなたが、
幸せでよろこびにあふれていればいるほど、
あなたは神に近い姿にあり、
すべての生命と調和がとれているのだ。

(中略)

よろこびとは何なのか。
よろこびとは、まったく邪魔の入らない動きの自由のことだ。
価値判断のない表現の自由だ。
恐れや罪悪感のない存在のことだ。
よろこびとは、自分が、
自分自身の条件で人生を創造していることを知っている状態なのである。
あるがままでいることを許されている自己の荘厳な姿のことだ。
それがよろこびなのだ。

なぜ、よろこびがすべての存在の状態の中で最も偉大なのであろうか。
それは、人がよろこびの状態にあるとき、
その人は神そのものである流れとともにあるからだ。
その流れの中では、
嫉妬や怒りや反感、
あるいは戦争などが存在する余地はない。
よろこびの状態にあるとき、
人を憎んだり、
囚われの身にしたり、
あるいは傷つけたりするのはむずかしい。
幸せでよろこびあふれる状態にあるとき、
あなたはすべてのものにみられる神を愛しているのである。

よろこびが高じた状態にあるとき、
あなたはまわりのあらゆるものと平和を保つことが出来る。
生きることがよろこびであるときには、
反感を持ったり、
不安になったり、
恐れや怒り、
あるいは何かが足りないと感じることはない。
よろこびの状態にあるとき、
人は満たされて全きものとなり、
生命と叡智、
そして創造性が、
まるで激しい流れの川のように内面からあふれ出してくるのだ。
よろこびの状態にあるとき、
人は内面から突き動かされ、
最高の偉大さを示し、
深い愛情を感じる。

よろこびあふれた状態には、
どうしたらなれるのだろうか。
もし自分がそう望めば、
人生のあらゆる瞬間が、
よろこびを表現する機会と自由を与えてくれるのだと知ることによってである。
そして、幸せやよろこびや、
あるいは神から自分を離してしまう価値のあるものなど、
何一つないのを知ることによってなのである。
そんなものは何一つないのだ。
何があっても自分を完璧に愛することだ。
自分を愛するとき、
それは神を愛しているのだから。

人生において自己に対する愛ほど偉大な愛はない。
それよりも偉大な愛はないのだ。
自己を抱き、
受け容れるという、
その場所から自由が存在していくからである。
そして、よろこびが生まれるのはその自由からなのだ。
よろこびが生まれて初めて、
神を見ること、
知ること、
心に抱くことが出来るようになる。
最も偉大で深く、
意味のある愛とは、
肉体の中にあって、
動き、
思索し、
創造し、
許し、
そしてただあるこの偉大な生き物である純粋で無垢な自己に対するものだ。
どんな自分にでもそのあるがままを愛するとき、
すべての顔、
すべてのものの内にあるもの、
つまり私が愛する偉大なる本質を、
あなたも知ることが出来る。
あなたは神が愛するように愛するのだ。
すると、
愛することがとても簡単になる。
許すことが簡単になる。
そしてすべての生命に神を見ることが簡単になるのである。


posted by JEGO at 01:23| Comment(0) | ラムサー真・聖なる預言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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